「西の魔女が死んだ」(梨木 香歩著)から不登校を考える

※この記事には本のネタバレが含まれます。

中学に進んでまもなく不登校になった主人公のまいは、季節が初夏へと移り変るひと月あまりを西の魔女のもとで過ごします。
西の魔女とはママのママ、つまりおばあちゃん。
おばあちゃんのもとで魔女修行を受けるまいが、おばあちゃんの優しく厳しい愛に包まれる温かい物語です。

中学生のまいは不登校。そして死恐怖症(タナトフォビア)。
その設定だけで私には読む価値があるのではないかと思えました。
私の娘と共通の悩みを持つ主人公のまいを通して、不登校の娘の心の一部分が垣間見えるのではないかと期待したからです。

主人公は不登校という設定ではありますが、この小説のメインテーマは「人間の生き方と死」だと思います。

おばあちゃんは本当に「魔女」なのか、果たしてそうでないのか。
実はそんな事はどうでも良くて、ただ思春期に悩み疲れたこの時期のまいを力づけ、まいが前を向いて生きていくためにはそんな希望が必要だったのではないだろうか。

自然に触れながら自然のリズムに合わせた規則正しい生活を送る。
眠って起きて、食べる。
そして一番大事な事は、自分のことは自分で決めて行動する。
それがまいの魔女修行でした。
そして修行中、人が生きる上で何が一番大切かは、魔女、つまりおばあちゃんがたくさん提示してくれます。

冒頭でおばあちゃんはすでに亡くなっており、物語は回想で語られています。

まいは幼い頃パパに「死んだらどうなるの?」と質問しますが、パパは「死んだら全部なくなってお終いだ」と言い放ち、まいはショックを受けます。
私も娘から以前に同じ質問をされた事があり、まいのパパと同じ回答をした事があるのです。
子供心にショックだったんだろうな・・・とそのシーンではっとしました。

そんなパパに対し、おばあちゃんは「魂が身体から離れて自由になるのだ」と言う。
その言葉で不思議とまいの死に対する恐怖は無くなっていきます。
そしておばあちゃんは魂の大切さと共に身体の大切さも教えてくれるのです。

まいは学校でのグループからはみ出し、自分を共通の敵とみなして仲良くしようとするクラスメイトに馴染めない。
でも孤高を貫くことも群れで生きる事も決めきれない自分自身にも問題があると悩むまい。
それがまいの不登校の背景。

それに対しておばあちゃんは、

「サボテンは水の中に生える必要はないし、シロクマがハワイより南極で生きる方を選んだからといって誰がシロクマを責めますか」
「自分が楽に生きられる場所を求めたからと言って 後ろめたく思うことはありませんよ」

より良い場所を求めて移動することは「逃げ」ではない、と諭します。

自分の能力が発揮できなかったり辛いと感じる場所からは、ためらわず自分のいるべき場所を求めて移動すれば良いのです。
それは決して逃げではないし非難される事でもありません。
その場所を求める権利を誰もが持っているのです。

この様に、おばあちゃんはまいの気持ちに寄り添い、まいは大きな安心感で包み込まれます。

不登校の娘の心だけではなく、親としての立場、子供を見守る大人の構え方などこの小説から学べる事はたくさんありました。
受け止め気持ちに寄り添い、干渉するのではなく見守る。
そして愛で包む。
不登校の子供に対して大人がやるべき事ってそれだけなのではと感じました。

子供にも大人にもおすすめできる、とても温かい気持ちになれる作品です。

では(^^)/

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